雪舟回廊

ガーデンツーリズム

雪舟回廊の構成庭園

常徳寺庭園(じょうとくじていえん)

【所在地】
山口県山口市阿東蔵目喜1498
【開園面積】
2,000㎡
【入園料金】
無料
【公開時期】
通年
【施設管理者】
宗教法人常徳寺・山口市(国指定文化財管理団体)

自然岩盤を巧みに利用した秘境の名園

 常徳寺庭園は、雪舟が作庭したとの伝承が残る庭園です。発掘調査により、他に例のない岩盤削り出しの滝石組や築山の独特な作庭技法、鍾乳洞の霊水の取り入れ等が判明し、優れた作庭として価値が高いことから、平成12年12月27日に、国の名勝に指定されています。

眠りから目覚めた名園

 常徳寺庭園は、江戸時代後期に記された地誌『防長風土注進案』に、荒廃し、埋没している状況であったこと、また、雪舟が作庭した伝承が残ることが記されていました。時は経ち、平成に入ってから、これらの伝承をもとに発掘調査を行ったところ、見事な庭園が蘇りました。

  • 昭和40年代の常徳寺庭園
  • 平成8年の常徳寺庭園

岩盤を取り込んだ力強い造形

 この庭園の見どころは、自然の露出岩盤を築山に見立てるとともに、築山の一部を滝口に見立て、対面に砂岩の大型立石を据え、切り立つ岩盤の間を縫うように渓谷から池泉に水が入っていく様子を表現しているところです。また、庭園の背景には、石灰岩の岩盤が切り立つように林立しています。この岩盤がそびえる背景部分を遠景に、築山の岩盤と滝石組を中景に、その手前に配された池泉を近景としている本庭園の景観は、雪舟の絵画作品にみられる遠近法の表現との類似性や、「秋冬山水図」(東京国立博物館蔵)の冬景図(とうけいず)と、構図が類似することが指摘されています。

池泉の水と鍾乳洞

 本庭園の紹介の冒頭に、国名勝に指定された際の指定理由の一部を書き出していますが、そこに、“鍾乳洞の霊水の取り入れ”との文言があります。

 本庭園が位置する山口市阿東蔵目喜地区は、蔵目喜石灰岩層と呼ばれる古生代の石灰岩が広く分布しています。本庭園の南側には、地元で“こうもり穴”と呼ばれる鍾乳洞があり、そこから多くの地下水が湧き出て、庭園池泉の取水源である河川へと水を供給しています。

 このことから、“鍾乳洞の霊水の取り入れ”という評価がされています。現在も、降雨のあとに、現地を訪れると、鍾乳洞から川への水の入り口から、湧水が噴出する様子を見ることができます。

 また、この鍾乳洞“こうもり穴”の中には、人がひとり座れる平らな石があり、この石をいわゆる“座禅石”とみたて、雪舟作『慧可断臂図』との構図の類似性が指摘されています。

 なお、現在は、入り口が積み石によりふさがれており、鍾乳洞の中に入ることはできません。

常徳寺について

 常徳寺は、これまでに幾度も火災にあっており、寺史等の類は焼失していますが、境内地にある石塔類から、鎌倉時代には、この地に寺院があったことが推測されます。雪舟との直接的な関係を示す資料は残っていませんが、雪舟作庭の伝承が残っていることは、江戸時代の文献からも散見されます。

 常徳寺は、山号を出銅山としており、旧鉱山町にある寺院です。常徳寺があるこの地は、“蔵目喜(ぞうめき)”と呼ばれ、鉱山町に人が多くぞよめきにいく(あつまる)ことから、“ぞよめく”が“ぞうめき(蔵目喜)”に転じたといわれています。常徳寺周辺は、蔵目喜石灰岩群からなる地質で、古くは古代から、蔵目喜銅山として銅や鉛を産出していた鉱山です。一説には、古代の貨幣鋳造所であった国指定史跡周防鋳銭司跡(山口市)でも、蔵目喜銅山の銅を使って貨幣を作っていたものと推測されています。最盛期は、近世初頭で、戦国武将・毛利元就へ、蔵目喜銅山産の鉛玉が送られた記録も残っています。一時は、長州藩の直轄の鉱山として繁栄し、多くの銅や鉛を産出していました。近世後期には、産出量はわずかとなりましたが、近代に再度鉱山町として繁栄し、昭和初期まで鉱山が操業されていました。庭園の裏山や、寺周辺には、鉱山や鉱山町時代の名残も残っており、庭園だけでなく、鉱山町の面影を散策することもできます。

  • 常徳寺庭園周辺に広がる鉱山町の面影
    ※赤色が鉱山関係施設跡

計画のテーマでの位置づけ

雪舟作庭伝承の残る文化財庭園。国指定名勝。江戸時代の地誌『防長風土注進案』に雪舟作庭との伝承が残ることが伝わっています。また、背景部分も含めた庭園の景観は、雪舟作『秋冬山水図 冬景図』との類似性が指摘されています。